朝。

朝に、かわいいい犬をさわりました。かわいかったア。はじめて、ちわわを

さわりました。小さいですね。きちんと散歩させないと、筋力が落ちると感じました。その点、しっかりしていた、体つきでした。筋力はしっかりとしていたので、安心しました。その様なところから器をつけないと、怪我や、病気を引き起こします。人間も同じです。筋力がないと、えんぱいを起こします。猫背よりたちが悪いものです。腰が曲がり、食べるのもやっとです。よって、年をとってから栄養をとっても、食べれなくなるので、若いうちからしっかりと栄養をと襟、そうなってもいいように、年をとらないと、年をとってから苦しみます。それで、コツ祖しょうしょうとは言いますが、どんな影響を及ぼしているか、ということです。精神的にもかなり影響はあたえることと思います。ので、きちんと栄養はとらないとです。

病気は栄養を減らします。ので、かなりのエネルギーを必要とします。それで、また栄養を使うので、食べれなくなったら、大変なこととなります。

 

それで、また、神社のこととなります。が、ふと思いました。人がいなくなる神社と、元々最初の頃の神社での奉ることの形式ということです。それは神社が決めることと思いますが、祖の人間社会デの礼儀、しきたりを忘れるのが人間です。時代の流れというとと、それで、祖の神社の人がいないということは、神が宿っているお社ということ子で、祖の奉仕デの人が来て、

奉仕をしていくということでしょうが社会的に、そばにすんでの、神社も多くありますが、それはまた社会として、ということです。世俗ですね。

ただ、それが、人がすまなくなるということについての問題として、ふと考えましたが。それがどうしてかということです。人が退化か、もしくは、人がいないかの問題です。しかし、古事記日本書紀にかかれている神社は人がいません。それはということで、以前考えたことがありますが、きっと祖のようなこともあっての、ことと思います。あとは神社の人たちがということです。

 

また、女性の

神主はダメですね。器が男性と違う。いつも、そう。特に、仏教で言えば、無自性のことです。それが退避できません。いつもそう。それが回りめぐってきて、そこの問題を大きくするということです。結局、いがみ合いによる、殺人が起こるということです。

どうしてわからないのか、そこの問題だからということではありません。それだけ、縁も強靭というこということも理解できずに、やっているという間違った宗教の教えにとらわれすぎているのは事実です。

ましてや、オーラとかは、昔からあったことです。これは外国から始まっているので、しかし、祖のルーツは確かにありますので、祖の歴史を知らない限り、無理でしょう。しかし、祖のオーラということことも光ということも、

おかしくはありません。ただ、祖の内容を理解していないだけ、もしくはということです。それを知れば、最初から何となく理解できている人の方が早いと思います。わかるましきょうのとときはわかります。祖の直感みたいなものです。いまの状態だと、祖の自分のか、どうかも理解できないことでしょう。しかし、ここまでしか、関与できません。

 

そして、仕事中に嫌がらせです。その人が日常生活という言葉を使いますが、祖の生活を営んでいるとき、己の考え、都合でいやがらせです。己が仕事がおわったらから、君は暇だろうというあまりにも身勝手な考えです。そして、嫌なことがあれば、あってもいない人からのいやがらせです。祖の元々の教え、密教を知らないからできることです。まともな、このようなことがない時代、このようないじめができたでしょうか?ましてや、勉強をしているときに、いじめるということはただの邪魔をしているか、嫉妬です。それが、良縁という言葉、縁という言葉では言えません。まともな時代には、あり得ないことです。途中このようなことが起こったり、邪気でのかんしゃく、様々です。