再度

もし、止めなければ、理解できたこともありますが、多くがごまかしたく、いつもあと伸ばしにしています。よって、そのような人はその性格ということです。 結局、自分の煩悩も同じです。理由はどうあれ、自分での無知によって、変えていますので、言いようがありません。 そして、無知と 知恵の意味合いは違います。すべて、簡潔に無知といいますが、その前に教養のない人は、無知とは言いません。まずは日本語を勉強するべきではないでしょうか? 

ノーマライゼーションといわれてますが、その意味合いを理解してないようです。それは、自己の能力を高めることであり、それは仕事をするにあったって必要なことです。それをあえて、今からということはすでにおそいです。本来ならそれは別としての仕事の必須条件を勉強しなくてはいけないのに、なぜかそれから始まり、祖の知識はまだですかということです。 仕事奪われてしまいます。反対にできる人は今度は神気の世界でのことです。まるで、宗教を理解してないからこのようなことが起こるのに、本当にいい迷惑です。よって、そのレベルでの対応をしていかないと過去最高の赤字が出てしまいます。というよりありました。どんなに、先を読んでも、今の現状のニーズがついていかなく、多くがうまくいかなくなっていますので、どのように対応すべきかが問題です。先を作る個とができなくなるということができないことはすべて、発展は無理でしょう。だから、仕事がなくなるということもあります。よって、経済難の承知の上でやっているということでしょう。その前に格差ですね。さあ、早く、いい人はもっと自分のための生活のために、行動すべきです。決して、エゴではなく、なぜにエゴなのか、よく考えた方がいいと思います。人の考えをうのみにしすぎです。なぜに、そこで躊躇するのか理解できません。 もう少し、ここでも、教養が足りないと思います。なぜに昔の人は、勉強をさせよとしたのか、その意図を理解すれば、勉強できることに感謝しないといけないと思います。私の父は勉強しないなら、働かせればよかったというくらいですから。言われたことありました。バイトをしていたのですが、勉強しているのかと母に問いかけていたところ聞いてしまい、だったら、と聞いてしまいました。ちょっとショック出下が、やはり、親でしょうか?自分の心を見抜いていたようです。それは卒業試験に向けて、早くから勉強しました。というよりも、赤点をとりたくなかったので、外国にいくためです。 それで、前の年の夏からすでに勉強しました。やれば、やるほど、自分の苦手なところや、どんどんと闘志がわき出てくるというか、自分は勉強好きだったんだなと卒業と同時に理解できました。やはり、大学いきたかったと思います。それが、私の人生の後悔です。しかし、高校3年で大学いってほしいといわれても、浪人は確実だし、いい大学は無理だと思ってました。だって、他は小学生からすでに目標をたてたりして、勉強しているわけですから。甘くはありません。それに大企業に就職したかったので、国立出た、女子出さえ、その頃の就職率は20パーセントも及ばない時代です。賢くないと、入っても、就職はかなりの難関かもしれないと思うと、条件が備わった学校にはいった方が、無難だと思い、また留学でも、州立の大学に入ることもできたので、その学校を選びました。これは父の進目で、決めたわけですが、祖のように、父がいなければ、また私は違った選択をしていたかもしれません。 

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