tum について。(密教について)

密教

おいて、テゥモとは必要です。しかし、密教の修業をして、性欲になるのは、果たして、どうかなものです。テゥモにより、潜在意識に入り、自分の無意識を知ることができるのですから、それが、密教の修業です。それを断滅していくことが修行であるのに、性欲に走るのはどうかと思います。

 

 要は、滴のことだと思います。これは密教の概要にもありますが、これは、大乗に心を壊すと、滴が出てきます。いかに、大乗の心を壊さずに、修行を勧めていくかが、問題です。人には2つあります。小乗か大乗です。密教は大乗でないとできません。

 

今流行ってますが、これは、大乗の心に目覚めた時には、その在り方を知らないと、同性愛になります。へたすれば、同性愛になりかねません。その滴で、性欲に走っても、いずれ、体がぼろぼろになり、生気が全くなくなります。

 

  密教は顕密です。  それが備わってこそ、初めてできることですので、流行りだからと言ってへたに行ってしまえば、奈落の底に落ちかねません。

 

 そして、大乗の心を壊せば、またそこで問題が起こります。壊せば、ティクレ(滴)だし、、また大乗の心を肯定した時、間違えば、西洋文化の教えに走るか、また、そこで、同性愛になります。

  要は自分の考えで決まりますが、そこまで詳しくは書いてません。一歩まちがうと、邪見に陥り、成長どころか、虚無論に走ります。

 

  大乗ということを理解していませんと、また、密教という教えに対して、正しくしていないと、壊れるどころか、自分には戻れないと思います。修正しようとしても、できません。なぜなら、目には見えませんが、業になります。目に、見えませんが、人を成長させるということはどれだけのことか、間違っていたら、それは自分の業にもなりますので、躾もそうです。すべては、目にみえないものです。

 

   それをどうとらえるかはその人自身であります。よって、業を受けるとか、滴が入ってくるということに対しては、気を付けないと、自分をダメにしてしまいますので、おのおの修行をしたほうがいいともいます。そうしないと、自分では築かないものを受けて、自分が病気になりかねません。特に、体の体質がサットヴァになったら。

   本来は、きちんと修行をしたうえで、行うとどういうことかすぐ分かりますが、今は

   流行っていますので、能力も様々です。気を付けないと、頭の中まで、平等になりかねません。其れこそ、西洋文化の教えです。人それぞれ、感情も違いますので、そう簡単には、できません。皆さん同じ状況というわけではありませんし、怒り方も違います。それを間違えると、大変なことになります。自分の感情を押し殺すと、帯状疱疹にもなりますので、霊性には気を付けませんと、自分の今の感情の気持ちです。本来なら、自然です。それを止めるということはどういう事なのか、理解しないと、クフかもしれません。あまりにもみなさんが聞こえるという事に対して、それをどうとらえるかです。壊れたものは修正で来ますが、行った行為は難しいです。特に、無知による行為はです。できたら、否定をすることを勧めます。そして、それは、現実で、バカにされているんだなということです。そして、その否定に合わせることです。

 

その状況を知らない限り、どんどん深みにはまり、自分で抑えられない感情に陥りますので、今度はその感情を否定する苦しさを知るはずです。自己との戦いです。

 

  これは心の問題にもなりますが、それは自分しか知らないことなので、その葛藤にどう立ち向かうかです。

  やりすぎも禁物。ということです。

    自分の体の心に正直にならないと、感覚麻痺でおかしくなり、壊れます。マゾや、虐待、さまざまな現象が起こります。何を肯定するか、正しい見解が必要です。