今日は、家にいました。とりあえず、一日一善です。早くに、行動することが何より大切です。おかしいといわれてもというのもどうかと思います。というのも、以前の友達はおかしいというよりもあって当然という友達だけでした。変わり者という感じでは有りませんが、霊性の高い人も多く、そういう感じです。ですので、言葉は難しいです。変わっているというよりも、おかしいという人はやはり、逆縁でしょう。慰めにもなりません。その以前の友達をみればです。

 

そして、その肯定、その状態を知っている人は問題ないですが、その時にカルマを受けていなければ、誤解されません。しかし、日常生活において、どうなるかは、わかりません。ので、昔と同じような感も見えることでしょう。しかし、それができたらです。特に遅いクラスはです。その当たり前の日常生活において、どう過ごすかが大切です。

ので、いままでのことで、誤解を受けないところはいま、あるところです。それは問題有りません。

それから、あとは肯定でも、どのように肯定していくかが問題です。それを少しずつ肯定していくか、一気にするかは問題ですが、それが、これからの課題です。無意識のことで、癖とでもいうのか、それをいかに見抜くかということも大切です。日々の精進です。そのような癖を卵子持ちとよんでいましたが、特に同性愛については、そうです。どんな否定しても、持っている人は有ります。その癖を肯定するのは、ない人かみれば、大問題です。それが、流行りだからといって、やっていいのかということです。その時は問題は起こりませんが、その後の世代には、どう影響を与えるかということです。これはおかねを稼ぐということとは違います。そこを間違えると、これもおかしいクラスになります。

 

そして、その修行についてです。あとはということも、有りますが、その後の経過、また、すこしづつ変化していく対応も考えないと、才能ある人を潰しかねません。そのところは、微細なことですので、きを使うことです。

特に、環境です。それが働いていたら、問題ないことですが、しかし、そのところをどう影響を与えるかということを、考えないと、また同じ邪道が来ます。

それがそのあとのことです。多くが、そうでしょう。それからの経過で、人生はうまくいくかも知れませんが、その配慮、特に回り等が有ります。そこが、しつけです。

よって、それではうまくいかないことは事実です。どんな助言を空気でもあっても、現実はです。それで、例えば、有名になっても、結局、言われてできる人でも、己でも、器ということでしょうか?それについていけないということです。自然でしたら、わかります。しかし、どんなにうまくいっても、成長とともに、というのも、仕事で、正解に広まっても、それで、病気になることもあるということです。どんな人の役にたっても、己できがついてもです。それが器かな。だから、その問題を気がつかず、己が病気、または運気が悪くなります。これが、企業、人としても、あるべき姿です。

 

いまの時代、仕事をするということは、その精神的なことも影響は多くあります。かなりの疲労もありますので、しっかりと、休みはとることです。いままでの休み方は違います。

グローバルでいくのはこれからは、難しいかも知れません。よって、人もすこしづつも戻していくことと、あとはその人の経験です。これからも、すぐにはよくなりませんので、ということです。そして同じことを繰り返すなということです。

そこは、すこしづつ、ありがとうということです。カッサムハムニダ。

そこから、変化が生じます。そこの微細なところまで、みることも大切ですが、能力です。それに乗るなということです。

それはさておき、ちょっとでも、そとに出ることも必要です。いままで通りでの方が、能率も上がります。それだけ、いい時代の時の教えの方が、これからは間違っていないということです。いつまでも、同じ悪い乗りではしないことということでしょう。先ほどの乗りということは違います。ということです。

 

そして、精神的なことも同じです。微細になれば、そのぶんだけの、エネルギーも時間も使います。そのところを忘れないようにしないと、こわれることは事実です。

 

そして、そとの空気を数だけでも、気持ちも変わりますので、少しずつよい方向へいくならということですが、これもある程度己で気がつかないと無理です。

しかし、散歩は気持ちを明るくしますので、その点はということです。そし手、脳梗塞にならないためにも、散歩、ストレッチは大切です。頭にはもうさい血管も有ります。ので、切れる前にすこしづつということは、そういうことです。

よって、空気を読むことの恐ろしさです。そこまで、理解できていたら、まだ、問題は起こりませんが、それ以上は、無理です。そこの見えないことでのことが問題になっています。

毒をもって、毒を制すです。これが、本に書いてあったことです。毎日、勉強していても、気がつかない人が多いことは事実です。これが真実です。あまり、言われても気にしない方がいいです。

 

昔も有りました。トイレの本で、しかし、最初にやっていても、その見えない人はどう立ったのかということです。その人がそのような考えでいたから、そのように気がついてということが事実です。しかし、その相手はということです。どのような影響を受けたのかということです。それまでの時間が語っています。それだけです。では、早くにいい人を助けられたらということです。特に仕事をしている人はそうおもうひとも多いはずです。それからの、慚愧の念もあることでしょう。ということです。そのあとはいつもの、社会です。よくわからない。どうしてその時にということも考えます。

仲間ハ、大切ですね。

そして、だからではないですが、毎日が、動いています。そこには接点が有りますので、そう簡単にはいきません。それが世の中です。そういうことです。

だからこそ、勉強も大切です。よって、いままで、どのように過ごしていたかが問われます。私はここは得意でした。あとは、そう社会です。それぞれの担当、役割が有ります。それが、その人の役割です。それをバかにする方がおかしい。それで、大それたことをいっても、信頼はおけません。個性というよりも、社会においての役割です。それが才能、能力ということです。

習い事もそうで、先生に向いているか、または躍り手として、みているのかは、それぞれ違います。それが、その人の役割ということです。しかし、それが遅いか、早いかは、どうでしょうかという己の人生ということです。ただ、チャンスをつかめるかどうかは、己です。