写真から。 

灯台の写真を見て、ふと思いました。あそこは昔、源家の屋敷があったところです。が、時代とともに海のなかにうもれてしまいました。 しかし、その恩恵で 東北震災の影響をその近くの場所は逃れたそうです。その他のところは、 まるで、時代劇を見ている状態で、全くなにもなく、昔はこうだったんだなと思ってしましました。 

そのお陰でその近辺は津波に会うこともなく、災難からのがれましたが、昔の人の知恵というものは後生たっても、すごいなと思いました。いい影響というか、先人の知恵という言葉ではかたずけられないほどのことです。宝ですね。それで、今の発展もあり、また、修正する知恵や教えもあるわけですから。 今の世の中がいかに道楽というか、なんだか 偉そうなこと言っても地う感じです。 結局は、性欲に逃げているわけですから。昔は性欲にも逃げずに、目的に向かっていたわけですから。それを越えての精神的なものって、自分以上の努力をしたものでしか、わからないと思います。だから、反対に言えば、天才は基地がいといわれる意味がわかります。性欲なんてなりません。普通は。 霧がない。一首の狂人です。一言で言えば、神様みいたいです。その神様に萎えるのはやはり、ゆとりでしょうか? あの京都をみているとなんだか理解できます。ただし、その苦しみを理解できるかどうかです。煩悩が違うのでしょう。しかし、殺生ではないので、大変というか、教養がないと、無理ですね。なぜに勉強が大切なのか、一昔の日本人の人が勉強を進めているのかわかります。ただ、その心が伝わらないだけで、性格といえる時代でもないので、人それぞれの伝え方があるので、要は、不器用立った訳ですね。誰もが、おとなになれば、わかりますが、それを理解できる子はいい子といわれたわけです。確かに、理解できる人は思いやりもあるわけですから、しかし時代のなかでは、反対に異端児にもなったわけです。難しい。

確かに、今の時代には、理解できない人もいれば、いる人もいますが、反対に聞いても、わかるけど、果たして、自分はということが大切です。だから、そういう意味でも、それが果たして、縁か同かは別ですが、その認識が間違った世の中ですので、反対に言えば、怖い世の中です。自分のせいになりかねません。特に、人を攻めるときはというのは、その張本人が攻めることが多いのですから。また、その真実を見抜ける人も少なく、振り回される人も少なくありません。その対応もわからない人が多いのですから。まず、しつけといっても、もう理解できないのでしょう。

まずは、ともあれ、神様を大切にしないと。普通はそうですよ。ただ、経験が悪いとですから。それこそ、業、カルマです。

千葉の海岸に坊堤を作ったそうです。しかし、その波の流れを止めただけで、自然の波の流れを変えたため、砂がなくなってきたそうです。波も、砂を運んできては、持ち去っていくわけです。その流れを阻止したため、砂浜がだんだんなくなってきて、遊泳禁止になったところもあるそうです。今現在もその砂浜が昔よりも半分になってしまいまい、砂を運んでくるそうです。その灯台のまねをしても、そこは昔からの、場所で、たまたま時代ともに、海の中に埋もれていったわけですが、その海のなかでも、岩石としては残っています。その岩石の集積のお陰で津波から逃れているのに、人間の手で、作られた坊堤はどんなものでしょう?それをも、考えて作られたら理解で来ます。無知ということを、しかし、なにも考えずに作ったなら、それはただのばかです。人は同じ子とを繰り返しますが、本来なら歴史をみていくなかで、祖のような失敗もあったはずなのに。浅はかしすぎです。そんな感じの日本語になってしまう。もう、これ以上なくばかとしか言いようがありません。こっちもおかしくなるから、もうそのような人とはあいたくありません。かわいそうだからと言っても、それはそれですよね。人には能力もありますから、じゃあ、それに落ちないためにはというところで、きっとわかる人はわかると思います。それを大切にできるかです。すべては、当たり前と思ってはいけないということです。故にボランティアに走るのも同かです。遅い人はそういうかも知れませんが、今まで、先に進んでいる人はということです。それと同じような心と言われたくありません。道楽など、幸せボケということ言葉です。邪魔しているのはどちらですかという感じです。自然も同じです。山の食べ物も、きちんと何を知ってか、整列して、竹の子も目を出します。これには驚きました。ビックリです。竹の子の整列です。かわいいとおもいました。 そこは知人の土地だったのですが、本当に小さな村というか、別荘がたてられるようなすべてのものが揃っていました。竹の子も、他では、あまり今年はとれないという状態立ったのですが、豊作でした。豊作じゃと祖のように楽しみました。御所みたいなことをしてしまいました。がやはり、人は感謝を忘れてはいけないなと思いました。