仏教SBD

感性です。触覚ということです。空気を読むということも。何故ならば、私の場合、社会で経験しているので、無言の喧嘩だけでなく、無言のプライドの喧嘩もしてますので、しかし、これは向こうからバカにしてきたことです。

 

あとは、宗教の教えの違いです。自分の体の時は無理をせずに、あの焦りの回避の仕方のほうがいいと思います。神気のような空気です。相手はヒステリックかですので、自分で分裂しているということです。そして、それがもとに戻ってから自分での精神統一の時間になります。なかなか自分で壊した精神を自分に戻すにはそう並大抵のことではありません。時間と心の状態、均一的にならないと片寄ることは、事実です。それからのことで、また時間がかかれば、果たして、このようなことがなければ、どう成長していたかと考えると、人の無意識、マナシキは大変怖いものですう。業とはそのようなものです。

 

なぜ、ここで業と言うかというと、いつもは、カルマです。しかし、そのような人が多いなか、反対にバカにする人を見つけたほうが早いのではないでしょうか?そして、いい人にはといいますが、その中でもバカにする人はいます。そこからでも遅くはありません。その中でも縁もありますから。開運ということは恐ろしいことです。

今まで以上のことですから、もともとということ以上になっていたらです。

後は自分の心の状態です。上に行けば、いくほど、結構多いですよ。逆縁。前世高い人は大変です。ましてや今どのようなことが起きているのかを知らないと、屈辱を味わうおとになりますので、それは本来の業ではないはずです。なぜならば、SPD 、最初から、きちんとやってたら、果たしてこうなっていたでしょうかと考えるとそれは無理ですので、今生きている人たちが修正できれば、少しは流れも変わります。それを得れば楽になりますっし、縁も戻ってくるに違いありいません。それから見つけた良縁を深めていくことです。それが、供養というかたちでもあり、成仏させることができるとおもいます。要は安心させることです。でっも、今の状況に感謝をし、いただけるものはいただいたほうが、いいと思います。ただし、エゴではなく、秩序です。礼儀など。引きずり下ろし、奪いあいなどもっての他です。簡潔に言えば、善か悪かです。無知の怖さです。