読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

やったあ

今日もインターネットができます。このようにいい流れを作っていかないと、何かあったとき、度つぼにはまるどころか悪い流れにはまりやすくなります。すると、どんなにチャンスがあってもうまくいかず、どんどんと悪くなるどころか、結局同0愛になるだけです。そのぐらい運気、そして、何でこんなことするのという思いやり、気遣い、を馬鹿にしている世界に入ります。だって昔、きいてましたが、いつもすごい不平、不満でかんしゃくを起こしていました。

 

その流れをつかんだら、おいしいえさを知るかのごとく、やっているだけで、やさしさはまったくありません。だって、同0愛ですから。

よって自分を助けるためにも、愛だけでなく、やらなければいけないとおもいます。それだけ、遅いと、負荷がかかりますので、屈辱も味わうことになります。出だしが肝心とともに、今の状態をいかに過ごすかということです。

 

遅いと自分が苦しむだけですから。また、はくじょとは違います。はくじょと落ち込みも違いますので、その点は、くれぐれも相談する人を間違えないとろくなことはありません。

 

私も、チベット仏教の先生から執着はないといわれたので、その点、間違った人とつきあると、ろくなことはありません。また、無知からもくる自分の見方を相談することにより、変なことにもなりかねません。よって、友達はえらばなきゃ。

 

結局は、自分がどう見るかということです。そして、その周りの人の配慮です。それに気づくことにより、また、自分も開運していくことです。人は見てますね。でも、それはかつての日本だけでしょうか?ということです。だから、人をおかしくしている人を見ると、なんていうかエゴ、それともという感じです。そんなところから始まりました。だって、似たもの同士だから、結局自分が疲れていては誘いも断るということですから、できないことはできないという縁起の中で、結局は、自分が助からないということでしょうか?