今、思いついたこと。

 

何だか、今まで完結な言葉しか使ってませんが、理解できなく、またそれが、その人の考え、定義をわからずして、会話する傾向があります。

 

さておき、以前、資本主義という事を言ってましたが、その前に売上とういう事を言ってました。資本主義じゃないのと言ってましが、その人は、ちょっとゲイっぽいです。

 

今回もまた、そのようなことがありました。自分が遅く、なかったので、買えませんでした。悔しくて、自分が遅いからだと認識させること、そしたら、資本主義ッってそういう意味という返答(スピリチュアルな返答)がかえってきました

 

   別の所は違いますね

 

確かに、遅くても、同じものを打っているところもありますが、自分の行ったところでは、すでに完売でした。悔しいです。私はどちらかというと、こちらの方の資本主義のほうが強いです。競争社会という感じです。確かに遅くても売っているところはありますが、そう簡単には見つかりません。それがよさという事もありますが、

 

 

 

よって、勝負の世界では負けたという事です。

 

 

 

どんな手を使われようが、それを考えると悔しくてたまりません。よって、密教と霊性のとらえ方は違います。それはそれ、現実はどのような結果?今までだったら、どんなプロセスでとあります。しかし、今現在の状態では密教がはやってますので、無自性の中での出来事です。しかし、世俗では、自分の体という事ですので、果たして、それが、どのように変わっていくのかという事です。それは業だけであって、。

 

結局、だれがやっているかという事です。そのせいでそのような無自性が起こっていることです。父も以前、このような無自性ではととあるところにいたようですが、おかげで、死んでから、まあ、そこに行けば、何とかという感じですが、父一人の存在としては、ゲイに全部抜かれてました。骨と皮しかありませんでした。皮肉にも祖も写真がありますが、やり切れません。

 

 

其れでは縁起も変わってきますし、世の中も変わってきます。流れかな。だから、這い上がりもいるということです。そして、正しい仏教を知らず葛藤する人、そして、密教において苦しんでいる人、さまざまです。神気も含め。相応なら平気ですが、本来なら苦しいはずです。そこから変わってきますので、それも、神気です。無知、タマスがそれに慣れたらどうなるのか考えてほしいものです。すごい自己中心的な物事の考え方です。自分が神かと言いたい。

 

 

あ~あ、何年だろ。ちなみに人生放棄してから、まあ、病気になってから、8年は苦しんでたようでした。

 

本人も何だかわかっているみたいで、それだけはという感じで遇った、ナーディを拒んでました。その時は受け入れられなく、持ってきませんでしたが、・・・。でも、それを持ってくるために実家に帰るわけにもいきません。きっと、父の願いだったのかもしれません。という事です。

 

プライドね。それでかっこいいといわないでくださいね。ちょっとまともではいられません。本来、プライドは人に必要なものです。それを無くすとはどのような修行なのか理解できません。だって、同・愛はプライドないじゃないですか?同・愛にするつもり?