何を肯定?

 

19年前から、肯定していれば少なからず正しい肯定ができます。しかし、今からですと、相当我慢などをしていたので、肯定の仕方、限度がわからなくなっています。

 

 

よって、今からでしたら、少しづつ、我慢しながら、肯定していけば、かつての自分に戻ります。それから、肯定しても、どこで、止めていいか自分でわかります。

 

そして、自分に戻るまで、少しづつ、肯定しているのですから、肯定は少なからず、肯定できます。また、我慢(否定)することもできます。其れからです。その間邪魔が入ってきたら、逆縁にすればいいことです。甘い誘惑です。もぐりもぐぞうの心の隙間おうめします。では、ありません。気をつけましょう。

 

もし、考えは平気だけど、ナーディでいるならば、表現は高さが違うという事でしょう。同じ時間が与えられているのなら、その時の自分に重なって出てきているというという事です。このような時は、どちらかの悪魔をとったほうが確実です。両方はできません。

 

  • 例えば、それぞれのグループの悪魔が出てきてます。その時に何に焦点を当てるかという方が確実に早いです。多くにやると、また、相手は考え、作戦を作るか、その時にほかにあげている人を仲間に入れかねません。其れこそ、こっちもあっちもという感じで、すべての事を考えたうえでというおかしいことになりかねません。これこそ、仲間同士で、慰めあい、強靭な強さになりかねません

 

今回の中学生の殺人もグループの派閥で疑われてという疑いも出てきたそうです。どっちかですね。やられたか、否かです。其れか、新興宗教かもね。

 

私の学校も以前はあらぬ噂があり、エイズとかね、就職率100%で、大手企業の確実だった学校でしたが、やはり、喧嘩をせず、そのまま噂のままでいたら、人が集まらなく、閉校になってしまいました。

 

もしかしたら、もしかしたら、というよりも、あまり気にしないほうがいいかもしれません。しかし、もう少し、方便を知ったほうが楽しいかもしれません。智慧と方便が初めてうまくいって成り立ちます。

 

  • 喧嘩しても、無常や癒し、一人で考える時間も大切です。一人で考えて、自分の精神性を理解することも必要です。そうすることによって、強固な心の癒しを少しづつ癒すという事です。一気にやったら、落ちます。めんどく際など、もっと出てきます。またその時に、抜かれてたり、おそわれたりしたら、どうします。

 

そして、戻ってきたら、またそのづれを無くしていけばいいと思います。一気になんて絶対できません。そのように少しづつ強靭にしていかないとまたすぐに壊れます。

 

そのうち

 

  • 性格や心の在り方すべて、分析されますよ。どのようにかっていくのか、理解できません。其れこそ、とある人のように、成長していきますよ。智慧比べでしょうか?いつの間にか限界がきますよ。

 

それでやられちゃう?私、何?