今日もまた、すごかったです。何となく、

空気から守ってくれたような気がします。しかし、その後、何だかいつものやり方でやると、あれっと画鋲的な鋭さがあったような気がします。もしかして、これって、河・・サンの悪魔ちゃんかな。というより、同・愛の背高のっぽかもしれません。以前、体を鍛えていた時も、いました。今はそして、間違った三身で、おでこの上部の4文の3の所に中中しています。それで、鼻の先を見ていますので、風のような、何だろ、これッって感じのものをしています。テゥモのような違うような。結局、自分のを壊しているようなので、あまり、気には留めません。

 

自分で、座禅の修業をしていれば、結局、自分の体のナーディに酔いしれることはないです。多くが自分のナーディに酔いしれ、同・愛になります。または、自分の間違ったテゥモにより、おかしくなっている状態です。よってそれは禅でしか、防ぐことはできません。それから、新道の状態を壊せ沙流という感字です。気を一方的に下げられて、神経だけが抜かれるという感じです。そして、その上げ方も、おかしいという事です。間違ってます。だから相手もおかしくなります。気がおかしくなります。テゥモの上げ方が間違っていれば、質然的にはもう、だめ。

 

理論に反することことです。結局はおかしい人間をつくっているだけです。

重圧での見えない霊体には、あまり無理をせずに目をつぶるのではなく、半眼にしたほうが楽です。そちらのほうが、自分の霊体を持っていかれなくて済みます。ただし、ただしい、禅状態のほうが、理解できます。2、3メートル先を見つめることにより、理解できることは、アーラヤ識でのイメージの為、きっとおかしくなったのでしょう。きっと父母像に似たようなイメージをしたため、そのように意識がかえられていったのでしょうか?だから、現実でそのような状態を簡単にすることができるのです。要は間違った三身ですよね。