続)3号 密教について

よく、私のところに飛んできてとありますが、それは間違っています。本来なら、飛ぶことはないはずです。元々、飛びやすい人は、相手のナーディによって飛んできます。それが、究竟ならさらに、人を引き寄せるでしょう。だから、新道の道が必要という事です。とあるタイプは昔から、究竟みたいになっていましたので、飛ばれるか、飛んでいるかです。ですので、飛ばれた方は座禅しないといずれ、同性愛になってしまいます。元々、人は、飛ぶようにできていません。それに、部分的を抜いたり、抜かれたりすることもありません。まあ、それを持っていた人は、自分が変わりにテゥモをやっていたわけですから、そこだけ、カラーが違います。だって自分の体ではないのですから。抜かれていた人は、また戻ると、どうなるかと言えば、多少なりとも、変わります。そして、それを持っていた人は、またそこだけ以上に浄化されています。

 

それを見抜けるか?また、場所によっても、どうしてつながらないのと言って、こいつじゃないと言ってたり、してました。そのまま、急に透明の空で無知です。物忘れのようになります。空気で何やら飛んできます。どうやら、ゲジゲジみたいに、ちくちく痛くなります。それで、灌頂移入です。それを耐えたら、同性愛になりますので、気を付けないと自分が壊れます。並大抵の感情ではありません。dvの感情を相手に流しているようです。でもこれも、同性愛の感情です。

 

それで、新道を壊し、同性愛にします。薫習など、一気にです。究竟以に陥らせるために。

スピリチュアルな世界ですので、後は浄化をし、座禅をすることです。アナハタチャクラがもし割られているとしたら、自分が壊したわけではないので、戻ってから、手を合わせることをし、口での回向を唱えることにより、三身に戻ります。そうすれば、チャクラも閉じます。そうするとどういう状態にいたか、ナーディも自分でわかります。もともとの正しい状態を知らないと、間違った大楽に陥ります。

 

霊性を使うと、相当のエネルギーを使いますので、補給をしないと、骨粗鬆症になりかねません。といううのも、体も遺伝子に関係してますので、前生からの意識と同じ、栄養もそうです。ですから、テゥモや霊性を使うなら、栄養を取らないと体が見えないところで維持できなくなっています。低体温も同じです。テゥモも同じです。やってそのまま放置では低体温です。また抜かれていても、低体温に変わっていきます。よって、体の免疫が弱くなっていきます。これは、体を鍛えることにより、変わります。筋肉を付けるという事です。そうすれば、低体温から抜けますが、またそのような状態では間違った方向に行きかねません。それは、ティクレです。自分日自分のではないか知らないと、欲情のまま、生起にしたら、いずれ、同性愛になります。

ティクレもまた、ナーディに変えると、相手の性欲みたいなものですので、それが、男のだったら、そして、それを体でやっていたら、動物のように、臭いで呼んでしまいます。だから、声を変えられやすいです。というより、目を付けやすいというか、。座禅、瞑想をしないと、自分の悪魔はわかりません。以外に自分の悪魔と付き合う事が多くなりあす。友人もです。だから、正しいといっても、その仲間でいたとしても、相手が開運せずに、結婚できないという事もあります。

また、それを阻止できたとしても、狙われているという事でしょう。よって、常に、逆縁にすること、浄化、座禅をしたほうがいいです。また、更に考え方の修正をしておかないと、無意識で変わっていることもありますので、時には自分の愛読書などを読んで、心を潤さないと、いけません。

 

瞑想も、ナーディも霊性がありますので、時としてそのようになってしまう時がありますので、それはそれにしたがった方がいい時もあります。いやらしいことは別として。あまり無理をすると壊れますので、個々は適度に。しかし、集中力があるなら、また違います。これは色々な方法がありますので、現実でないと理解できないところもあります。例えば、客商売の場合、仕事ではまずいので、仕事が終わってからのほうがいいと思います。受けが悪いと売り上げも響きますので。クレームかな。さあいつからでしょう。

 

集中力もさまざまですので、より目には気を付けないと、集中力を養うためです。よって、自分の能力とはかけ離れていますので、壊れます。というか、自分の立場によって、見方が変わります。それが癒しになったりしますので、しかし、霊性で、そのように見えるという事は、まだ密教としての修業は無理なので、気を付けないと、魔境や、自分がおかしくみられます。これも霊性の修業によって、誤解される人も中にはいますので、。正しく選択しないと厄介です。魔境はさらに怖いです。自分を忘れていますので、すべて人のせい、もしくは、自分には非がないといって、自分の殻に閉じこもり、何をするかわかりません。誰が何を言ったとか、悪口を言ったとか、

どんな災難に遭うかわかりません。あまり、側によらないほうがいいと思います。何を自分が言っているかなんて言われたら、男性はさらに厄介ですよね。特に、カッコ良かったり、狙われていたり、勉強ができたりして、要は三校狙いです。それをさらに、警戒しすぎで、今度は反対に同性愛から、やられたりして、あります。友達から?。過度の緊張感も共産主義を生みます。

卑屈を利用して、それをナーディに変え、落ち着いているようにみせかせることもできます。でも、それって、西洋文化の教えです。悪魔も、それを知ってか、18年前からの状態を直そうとしています。西洋文化の教えは、空をも、降ろし、ナーディに変えることです。そのような人が、西洋文化の教えの上にたつようです。ナーディか、頭の空気に気を付けないと、同性愛になります。もしくは西洋文化の信者です。

 

よって、悪魔を見抜くには座禅が必要という事です。目をくぼませるとか、色々ありますから、それを無理して、閉じようとすると壊れますので、最初〜無理をしないように。また、ナーディの声を出すことは(霊性もふくめ)結構自分をコントロールしないと、自分がその味を覚えるように、ナーディになれ、落ちます。特に、同性愛のナーディに霊性を使うということはきをつけませんと、自分が気持ちよくなり、落ちますね。

粒もまた、気を付けないと、目に来た時は、目薬を勧めます。しぶしぶすることも同じです。動物でも、粒が来たときは、片方の目をつぶりました。その後はもちろん、目薬をしましたが、それ以降目薬をしてあげました。何だか求めている時もありましたので、気持ちよさそうにしていた時もありました。修行と、一人単独でやるという事は違います。仲間の集い方も大切です。自分で悩むという事です。

 

肝心な人がいないのに、使うという事は、よくないと思います。単なる私という言葉にも深みがありますので、無意識でしたら、いいですが、それが意図的でしたら、それは違います。それ以上は、口語と文語があるように、口語で使い、瞑想で、その心で使った、口語を直します。それで、文語という言葉を使いました。それをしていけば、誇張にはならないとおもいます。体も酸素が必要なように。これは私が発案しました。こういうところでできるようになっても、現実はという事です。以前、それで、怒られていた人がいました。座禅の時でしたが、。この子たちというか、私はというか、大手、、、は平気だけど、などと、お坊様まで、ぶちぶち言っていました。

 

礼儀かな。礼儀で直ります。後は、このような状態に陥らないようにしてください。どんな状態でも、現実では、礼儀。最初から、つんけんはね。私苦手、というより、嫌いです。

あまりにも強靭の念というか、霊性の動かされ方の場合は、無理をしないことです。自分が抜かれますので、ちなみに、それができるか、相手を抜くかによって、また、レベルが変わります。自分が狙われているのに、人を抜くのは最低です。それは自分がやっているからです。ましてや、楽しいときにぐさと説くるような霊性には気を付けませんと、自分の心がきづつきます。ので、できれば、生起の状態でいたほうがいいと思います。それは決して、自己愛着ではありません。霊性なのにね。