密教について。

 密教は目に見えないものです。日本でいえば、真言黄檗、天台とあります。

よく、噂で新興宗教のものと聞きますが、それは違っています。空海もそうです。

お坊様は、修行をされて、作りました。其れの生い立ちは調べればわかりますが、その道に導いた教えがあるからです。それまでも、仏教はありました。いろいろな噂がありますが、目に見えないものですので、色々な話に負け易い状態でもあると思います。しかし、正しい事を知れば、それだからこそ、守られているという教義よりも、加持のようなものです。この十何年間私もそれに気づいてたようです。ちなみに、昔の日本語では、今わかったから気付いた。という事ではなく、気付きました。これは、今気付いたという事ではありませんよね。しかし、今の人の多くは、今気付いたのという感じの日本語が多く感じられます。日本語の美しさが失われつつあります。それは、性格化もしれませんが、そのような人とは話したくありません。バカじゃないといわれるだけです。何故会話にバカにする事ができるのでしょうか?性格が合わないとしか言えません。しかし、何故かそのような人が優越感に慕っている気がします。何にたいしてでしょうか?理解できません。素直に配と言えば済むだけなのに、自分がどう思われているかが大切なのかもしれません。だから、わかってたという日本語がでてくるのでしょう。これは智慧もありますが、それがわからず誹謗してくる人にはそのような断定の言葉が通用しますが、でないと、また、非難を生みますから。だから、いい人には良くできるようにすれば、自然と良い人が集まってきます。

 

自分がおかしくなっていれば、人にも優しくできません。経験の構成として、何を経験するかしないと、人生の見方がおかしくなります。だから、その人の見方、考え方にずれが生じるのです。その人がどのような人生を歩むかによって、すべてが変わります。後は、自分の言い訳の人生です。理屈か、正論か、自分を肯定したいためか、認めてもらうために、ありとあらゆる言葉を使い、相手を屈服させるという事です。ましてや、目に見えないところで話しているという事自体おかしなことです。本来なら、精神病に行くべきです。それを、宗教のせいにして、助けてくれないといっている人に仏教が理解できるのでしょうか?ちなみに前後不覚は、ニヒリズムです。頭の中、それとも現実でどっち?という事です。現在、過去、未来がなくなりますよね。

要は、無です。それぞれのとらえ方があります。端的に考えると、無。じゃあ、心の中で話したりすることは違うよね。という事です。無の意味がありません。みなさん難しく考えすぎです。だから、無が壊れるのです。其れなのに、仏教の教えを言っても、修正都市化、考えられません。壊してどうするの、要は違う人生を歩ませるため、自分のいやなことをすでにしているではありませんか?ニヒリズム、それとも、同性愛、かつての、自分の苦しみを忘れているだけで、だれから、どのような話を聞くかによって、全く変わってしまいますよね。そこで、やっぱり、慢や、その人の心にいつけ込む様な話です。西洋文化も同じです。自分の生活はきちんとしておかないと、また、オレオレのようにだまされるという事です。心配や、不安を利用しているだけです。ちなみに、執着も。しかし、ここで、色々な考えが出てきます。以前もそうでした。慣れれば、対抗できるとか、要は、躾です。しかし、相手が同性愛だったら、そのこのなんとか、それは多分ティクレというのですが、イライラして当然です。だって自分は同性愛ではないのですから、イライラしたほうが正論です。もし、男だったら、男の性欲ですよね。女だけではありませんから、昔から、流行っていた密教は?昔と言っても、18年前ですが、それは、やはり、新興宗教が流行らせたものです。最初に書いたとうりです。それをたどれば、要は、自分時がある者同士がやっていたからでしょう。だから、今もうまくいっているのでしょう。人は抜かれていますが、。女を抜いといて、男と言っているような、同性愛ですから、相手もそう利口とは言えませんが、そのようにして、ばかな人の心ざしをも利用して、這い上がらせ、同性愛にするという事でしょう。体裁もくずす?それともプライド?これもかたずけてもらわないと、各々についているんですよね。個別でだから安泰と言っても、人添えぞれにはまだ、昔の悪魔がついているはずです。自分でかたずけないと、違った形の這い上がりもいますから、人にかたずけさせておいて?

 

結局、密教はそうです。親がやっていたら、その分の縁がつくという事です。以前、三つ子の魂100までという事で、3つまでは出さないでいたことがあります。それは昔の日本の躾の為です。確かに使えることはありましたが、でも、言いました。其れからは、早く理解でき、今では昔の日本の時代を知ることができます。大企業に行くには、昔の日本を知らないと、無理です。そして、途中、本来の自分の人生・運命をあゆめるようになりました。結局、親のしたことで、子供の人生モ振り回されるという事でしょう。それまでやっても、なかなか難しい世の中です。これこそ一致団結ですね。気の合う仲間、友人など。長い人生先を見ると大変ですが、じゃあ、僕のタイプ?お嫁さんになる人を守って、と言われてしまいました。挙句の果てには、友達のお母さんが飛んできたらどうしようなど言っていました。

わたしも、色々悩みました。この状態で、こうするのはという事です。しかし、割るのではなく、自分で落とすのではなく、どうするかという事です。途中、抜かれていしまい、あら、ボロボロになりましたが、これは、仏教用語では、生起と、究竟という事です。どうするかによって、成就になるかどうかという事です。だから、新道はきついで菅、こうすれば、わかるという事です。それをまねる人もいますので、はくじょしてしまいました。でも、その時、自分のだったら、そこには自分はいないはずです。其れなのにいい人層という事で、自分の究竟を見せるわけにもいきません。真下や感知してしまったら、一生ついて回るかもしれません。生霊として。其れこそ人生人生ボロボロです。生活難になってしまいます。かつてそのような人がいました。人間できていると大変です。その人は自衛隊だった人ですが、。煩悩あり、性格欠点あり、ですが、心です。その状態を誤解されていては、大変なことになります。本来、密教は無です。しかし、それは、自分であって、人の性格、煩悩ではありません。自分観念です。結局は、自分の思い込みによって、人を見ているわけで、それで、排斥しているという事です。逃げるが勝ちです。現実、その場でバカにされているという事です。それを密教を使い、言葉巧みに言っているか、最近空気でも、言ってますよね。でも、その前は何あれなんて言っておいて、今は自分もその部族です。今まで、何だったんでしょうと言いたい。その人たちを引き上げるためですか?そしたら、お金を頂かないと、宗教もお金が絡みます。現実、無料奉仕?なんで、勝手にやっていた人たちにそこまで尽くさないといけないのでしょう。そして、自分だってやってたんでしょはありません。まったく喧嘩の仕方も間違っています。というより、相当たちが悪いとしか言えません。

なぜ、時間をずらすか、という事です。時間をずらせば、状況も変わる。あえないようになるということです。また、業という子でも、相手が霊性で話しているなら、自分たは耐える問うことは、そこで、自分が抜かれたらという事です。霊性どうしはさらにやばいかも。そして、現実はどのような状態かを理解せずに、嫌がらせです。もしそこで、喧嘩をしたら、きっと黒に変わり、さらに、自分が抜かれ、こんたん性悪です。

くろに変わるという事はどういうことか、要は、正しい事をしていけば、わかります。そのに能力もありますが、それを言わないとわからない人もいるという事です。結局、バカがやるからです。でも、今は壁をはぎ取られたかな。二重構造とは違います。昔、言ってたこと、思い出しました。立場によって、違う。ということです。

自分がそのランクではない限り、そのような状態の発する言葉をいわせない?言わないという事です。

もし、同じ事をしていたら、致し方ないです。それはそれで、後で、浄化、虐め、

そして、座禅をしたら、瞑想(これは、ナーディの時ですが、余韻かな。)あとは現実での、おしゃべり、ストレス発散です。それをこなしていけば、病気にはならないと思います。ストレスからきますからね。たまった後の負債の処理は大変です。其れと同じこと。毎日するか、たまってからだと、どんな状態になっているかです。肯定も難しい。体が疲れていて、心の叫びが聞こえなくなったらおしまいです。心の叫びはありますので、体も限界になれば、病気という形をとります。だから、風も悪いものを浄化するために、熱が出るのですから、無理は禁物です。戻る途中には、体の疲れがぐったりするかもしれませんが、仕事は無理をせずに努力ではなく、そこそこに。このぐらいなら言われないかなという感じで、過ごして、その後少しずつ慣れていくしかありません。でも、智慧をつかえば、霊性を抑えるのではなく、肯定してもいいと思います。しかし、その肯定の仕方です。考え方もそうですが、肯定の仕方も、また。結局、昔のことですが、霊性を肯定しなかったために、黒の女性のイメージが多少なりとも変わりました。しかし、本質はたちが悪いです。やってきたか、挙げてきたか、抜かれていても、だんだん自分の体のナーディは変化していきます。いつの間にか、霊性が出てきちゃった。なんてあります。できるだけ、自分の体では縁を付けないほうがいいと思います。重圧には気を付けたほうがいいとおもいます。

 

テゥモとは違います。また、それはその人の集中力であって、念のようなもの。それを体に押し付け羅列という事は自分のナーディをわろうとしているからです。それで、新道?西洋文化と同じです。また、挑発で我慢していると、少し先に行くと事には、その別の人がいて、癇癪、カツンとさせて、その人の怒り、集中力、などをりようして、抜きます。だから、怒りはためないほうがいいという事です。現実ではdvと同じです。正比例と反比例を利用し、反比例が自分なら、それを利用し、正比例にやられるという事です。理科の実験かな?反動で来るという事です。

 

また、あの黒の煙みたいなものは、運気がすごく悪いです。なぜならば、天然石で、ブルーレースメノウと、他の天然石に覆われた、黒のあれでは、運気も違います。ブルーレースメノウッだと、惰性でも、すぐに仕事が見つかりますが、他は、

全然です。そちらのほうが少しは値段が良かったり、物が良かったり、加持を受けてたりしますが、なかなかです。だからと言って安いもののほうがいいというわけではなく、その黒の運気です。そんな人が上に立つかで、決まるように、宗教も同じです。目に見えない世界はそのようなことです。とても怖いですので、私の部屋には、神棚や、お守りがたくさんあります。信心深いのでしょうか?仏像もあります。

 

奥義を言えば、父母尊です。タントラの意味を唱えると、煩悩肯定です。性欲ではなく、同性愛とは違います。結局その意図を理解できなかったという事です。見栄ですネ。わかっていたふりをして、結局、。勉強もそういう人はできないでしょう。

タントラとは、結局、同性愛ではない人がやることです。片方が同性愛だったら、意味がありません。それを肯定しているのですから、同性愛の理論はおかしいです。

男と男、女と女としてもね。それを言おうとしても、見えない空の壁です。其れも黒。それを割ったら、どうなるのでしょう?人で試しておいて。悟りを反対に利用しているだけです。難しい日本語はきれいな日本語など、同性愛はわからないでしょう。美徳?それで美徳ですか?

時代によっての密教の在り方は違います。が本来結婚はしないという事での、結婚でしたので、そのような意味でのタントラでしょう。また、精液を必要としたり、生理的作用、ナーディなどのことですが。そのような時代がありました。

確かに、いい人を抜いてやっていたわけですから、また同性愛は女、もしくは男を抜いていたわけですので、一応はノーマルに見えます。しゃくですが、挙げてきたら出会って、自分からは無理にしないほうがいいとおみます。其れよりお、抜いちゃえばいいのです。まだそのカルマがあるなら、平気ですが、抜きすぎて、(やりすぎて)同性愛になることもありますので、要注意。その後は、むろんの事浄化です。究竟かな。阿多は、自分という理論に気を付ける遠いです。マネではなく、自分です。其れこそ、悪魔の修行者ですか?

業も違います。いずれ悟って変わるのでしたら、今から、少しずつ修正しておかないと、いつどこで、広まるかわかりません。微妙に業も違えば、本物と少し違うとありますから。似てるけど。

少しずつ、昇華していくわけですので、体は正直です。あまり、無理をして、生起にしないと、自然の勲習がおかしくなります。だから、気を付けないと、後一歩というところで、他に行ってしまったら、大変なことになります。きっと奈落の底です。私は欲求です。それが、私を抜いてやっていた、ガングロたちです。その人が、持つと、すごい自分のアナハタチャクラに、やりたいという欲求が沸き起こります。ナーディで。其れこそ三身です。口でもいっちゃう。それで、相手は無口、それとも、人のタイミングで気が合っちゃう。参ります。そして、自分はと振り返ると、なんでしょう?腹立たしい。三身って、身、口、意のことです。それができない限り、先にはいきません。また、反対に肯定しないといけない人が肯定しないと、反動で悪く鳴ります。