なんで十二縁起が密教?

確かに、

十二縁起にも前世からの識によってとらえることもありますが、それは、人の在り方であって、決して、自分の見つめ方ではありません。でしたら、ほかの教えで自分を見つめることが必要ですが、心を見つめるという事は、法則に書いてありません。どのようにしたら、それも業です。それからが修行であって、決して必ずしも必要とは限りません。確かに、人の生まれてから、生まれるまで色々なことが書いてありますが、はたして、それが密教に必要でしょうか?それは自分の問題にたいしてではありませんか?よくわからない、。どうして人は生まれてくるのとか、そのような感じの質問ならわかりますが、ここでははっきり言って密教には関係ないものですそれは、無知からくるものです。ただ抜粋する個所が、似ているだけで、はたして重要でしょうか?

 

それなら、まだ阿頼耶識、マナ識を勉強したほうがいいと思います。簡潔にいうと、密教の教えには、生起次第と、究境次第しかありません。ようは、体の身体のことです。その体の流れについてです。気の流れみたいなものです。それがどうして十二縁起に代わるのでしょう。信じられない。私も、どうしてと思ってしまいました。それ以外にも、密教に当てはまる言葉ありますが、なんだか勉強したことがない人が、言っているみたいで、どうして、密教以外でその言葉(密教の言葉)をつかうのを言わんばかりです。少し信じられない。勝手にやっておいて、なんで、才能ある人たちが苦しまなきゃいけないのでしょうか?やはり、多くの人がやっているからでしょう。

 

でもはっきり言って、世俗ここでは、現実ですが、自分の日常生活をきちんとできない人は何をやってもできないように、密教ほどとおいものはありません。ましてや自分の感情をぶつけることが肯定なんて、間違っています。密教とは、潜在意識(阿頼耶識)、超潜在意識(マナ識)の修行です。自分の本質を見つめる修行なのに、どうして、人に対して、嫌悪を向けたりするのでしょうか?それは、否定されるべきことで、肯定とは言いません。

 

  また密教はどちらかというと、性を肯定するものととらわれがちですが、父母尊なので、しかしこれまでに至る、4つの修行があります。それができたら、今はやっている修行ができるのです。果たして、誰でも安易に寝てしまう人が最高の密教の修行ができるかといえば、できません。最高の密教は、煩悩を肯定し、向上していくことです。

 

日本の教えだと、結婚して二人で高めあっていくという感じでしょうか?テゥモをやったからといって、幸せになるわけではありません。反対に破壊しかねることもあります。しかも徳がつめるわけでもありません。こればっかりは心ができていませんと、そう成就というみたいな形です。下手をすれば、徳を減らすばかりです。そしたら、ますます自分の心をコントロールできなくなり、魔境に陥ります。抜けないと大変なことになります。精神的に来るか、現実でおかしくなるか、様々な現象が起こります。天災でも同じです。地球の流れを変えているようなものです。ですから、洗脳だけでなく、念で壊れることもあります。ポルターガイスはキリスト教からですが、そこまでおかしくなったらキリスト教みたいです。念とキリスト教は違います。ですから、間違ったことがすごくはやっています。