思い出しました。

やっと、少し落ち着きが取り戻せたようなきがしmす。まず最初に自分の状態です。坪をやっていて、まず、最初荷足のストレッチをしました。すると、そのしびれがありました。その足のツボのところで、疲労が大敵とありました。私はどちらかと言うと、そのような傾向が昔からありました。昔を見ると、なぜか、交通時間がかかる場所を選んでいますが、なぜか、そのなかで、体力と精神的なものを鍛えられていたような気がします。そして、そのなかで、努力をしていると、道が開けることもありました。しかし、片方では、からだを壊すからという見方もあります。無理はよくないと、神道ではお守りいただいていたのかとおもいます。ので、その足のツボを見て、ふと思いました。しかし、そのツボの場所を押し、また、足が暖かくなっています。その視覚というものを感じることにより、その人の症状がわかるそうです。しびれや、 皮膚のカサカサ等の症状が現れるということです。それを感知する事が必須ですが。もしかして、その痛みも、その近くのツボを押すことにより、改善するのではないでしょうか?20年前そうでした。まだ、実家丹伊田と気に、足の裏のところが妙に痒かったのです。それって、もしかして、新道の神様から守られていたのではないかと思うと、感謝です。そのような知恵も必要かとおもいます。その時は、湧泉でしたが、今回は足心です。症状としては、足の出っ張りのしたに有る、陽陵泉でした。間接リュウマチの症状です。毎日やれば、疲労感がとれ、精神的にも落ち着いてくるそです。

 

ちなみに、湧泉、太谿の症状は、末端の血行をよくする働きもあり、胸部のうっ血がとれ、呼吸が楽になるそうです。ので試してみてはいかがですか?何となくですが。足が暖まると、からだの疲れがとれ、気管支も穏やかになるので、夜間の発作も少なくなります。とありました。その点、無理に呼吸をしようとして、長くしても、それは壊れるだけです。よって、本来の状態というか、新道のあり方で言うならば、浅い呼吸は普通の事で、決して、せっかちではありません。そのまともな状態での、座禅が必要ということでした。なお、今のSBDの流行りは間違っています。ので、自分で壊しているだけです。

そして、意図的に壊すとです。その足の間接リュウマチの箇所でのことですが、昔、バレエを習っていましたが、その先生のやり方に無理があったようで、それから、骨というか、ずれてきました。他の人はいいといいますが、私としては、少しずつです。それから、右の鎖骨の首の骨のところがいたかったことを思い出しました。そして、また、違うところで、であった人と間接の開くところをいったことがありますが、そのような状態で、開いてしまったので、右と左のあばらのずれてしまったようです。そのように、一つのずれが大きくなってしまい、そして、どこから先に直していいかということがわからなくなっています。

 

ツボの本には、人間の足には、60ほどの反射区があり、神経の帯である13本の反射帯で全身の期間と繋がっています。ですからからだのどの部分に以上があっても、そこと対応する足の反射区をもみほぐせば、正常な状態に戻すことができる。これが反射療法といわれているものです。

 

 よって、足の刺激は心臓の働きを強め、全身の健康に繋がります。とありました。そうなので、意図的に無理にすると、全部壊れてしまいます。それもイッキにです。それが目に見えれば、いいですが、また、気づくのが、初期段階か、若しくは壊れてからとでも言うのでしょうか。しかし、イッキにくずれます。そして、その食段階では、筋肉疲労や、炎症もありMす。また、細かい様々な事もあります。簡単に言うと、筋肉の流れも変わってきますので、色々な箇所での支障があります。それが積もって、限界を越えたときに、病気というかたちが起こりますので、要注意です。

なので、意図的はよくありません。自ら壊します。よって、ダメです。それをこのSBDに当てはめると同じ事が言えます。すべて、です。例え、人がそうであれ、意図的にはよくありません。仏教的に言えば、業を無視しているわけですが、ただ、叱責ということは違いますね。それは仕事中のことですので、仕方ありません。ただ、見えないところでのやり方には、ダメです。よって、抜かれる等ともっての他です。これは、破壊に当たることで、本来殺生の業がある人とはやってはいけないことです。

 

また、カルマ落とし等は、もっての他です。そんな事はあり得ません。人を裁くというところまで行き着きかねません。カルマ落としで、抜く、増しちゃ、同じ嫌がらせをするなど、話にもなりM線。だったら、最初から、そのような事しなければいいのです。それをカルマ落としといっては、黙らせているのですから、では無意識とはなんでしょうかになります。それこそ、理解できない話ということです。

  • 最後に足の体操を。これはお風呂上がりがいいそうです。それから、自分の視覚としての箇所を探してみてはいかがでしょうか?ツボは親指で強く押し込み、スッと力を抜くのが基本。強弱や押し方、時間に変化をつけて10回から20回繰り返す。
  • 足の裏の人とかけるとこを押し、そして、手の平のへこんだところを使ってマッサージをする。広い部分の張りをとったり、血液の循環をよくするのに効果がある。
  • 扁平そくの足のアームになるところです。趾の両側をつまみ、しばらく揉みほぐしてから、趾を抜くように引っ張る。
  • 5本の趾を2、3回繰り返す。趾の間にテの指を付け根まで入れ、趾を広げながら足首を回す。
  • やはり、趾の間に手を入れ、足首を深く曲げ伸ばしする。足首が柔軟荷なり、歩き疲れしにくくなる効果も。

温水や冷水に交互につけるなどの方法もありますが、毎日5分から20分根気よく続ける事が必要です。

 

以上です。

テイク ケア❕

 

 

 

 

 

 

 

 

ビックリ。

小脳が、活性化し、集中力が期待できるそうです。さて、最初にくる言葉はです。

次々に出てきますが、自分のやらなければいけないことは、なんでしょうか?

でも、それだけで、変わっていくのですから、簡単です。そして、

 

なんだか私は何?とだんだん自問自答です。これは自分の悩みからくるものか、もしくはです。いつもなら、答えは、じゃあ、となりますが、選択です。o(T△T=T△T)o。まさにこんな感じです。頭がぐちゃぐちゃ。そうだ、人のせいにすれば❗いつもは渋々。そうだ、そうしよう、八つ当たりなら、今度は人のせい。だって、そこから始まったんでしょ。冗談じゃない。何で私が、。ほかにだっているのにです。まあ、私は嫌われていたからいいけど。

 

いつもなら、そんな感じでいたから、もしかして、空気の世界からの移入でしょうか。

お気に入り

唯我独尊。 釈尊ルンビニー園に降誕した時、七歩進んでから唱えたとされる誕生偈、『天上天下唯我独尊』<すべての世界において私が最も優れている>に拠る語。自分を生きとし生けるものの代表として、すべての命あるものが尊い存在であることを表明したものと解釈される。

これは私は時々思います。どんな修行でも、結局は自分なんだということです。自分一人という言葉には語弊が生じるようで、親しい人しか語れませんが、どんな修行をしても、結局自分ということです。自分しかいないと言うことです。

大乗や、SBDやありますが、どんなに慈悲を持っても、結局は自分のためというか、自分しかいないと言うことです。何となく、センスの世界です。アーラヤシキ、マナシキ等ありますが、でも、自分です。思いやりもそうです。すべては自分。と思ったことがあります。だから、自分を大切にしなさいということだと思いました。

 

今日も又。

今日はいろいろと話してしまいました。

ナーディについて、

  • それはまず、ナーディが究竟次第の状態でいるようでしたら、気を付けたほうがいいということです。知らずのうちに飛んでいたりしていて、両方が禅をしないと、同・愛に陥るということです。飛ばれたり、飛んでたりしていたら自然とナーディが変わりますので、いつの間にか、地層のように変化していきます。体と心はつながっていますので、少なからず、影響を及ぼします。そして、いつの間にか、・・・です。
  • ナーディのありすぎには気を付けることです。テゥモのようなナーディをやっていたわけですので、自然とそのように成長していきます。要は、いつの間にか、そのような状態になっています。ですから、ありすぎで、おかしくなることもあります。心と体が一緒に成長してないので、きっとストレス、癇癪、などの心の葛藤が強くなることでしょう。それこそ、自分との戦いです。

そして、その時にバカにするかどうかのことです。人が先にたいしていたことに対して、馬鹿にしていたら、それはそれなりの苦しさや、同じ思いをするでしょう。

 

だから、それに対して、もし、自分たちが先にしていたらといううことを考えると、間違ったことはしないほうがいいと思います。業が変わるので。悪くなりますよ。だから、無知は怖いです。教養は身を助けるという言葉もあります。

今、静かなら、相手も仲間同士でやっているということです。その時に何をするかです。できたら、できなかったことをし、そして、修復もよし、寝るのもよし、人それぞれで自分の時間を大切にしていくことです。それこそ、ゆとりです。泣き虫小僧が元気になるときはこの時だけだという感じです。でも、これを公表すると、結構、嫌がらせも来ないとは言えないので、内密に。それこそ、また明日、どのようなことが起こるか、また、シークレットですね。みんなで添えでも図太くいこうという感じです。その落ち着きが大切です。あたふたしても始まりません。それが自分を治す第一歩です。何もかもそれからです。その自分のことを知らないと、わからないこともありますので。

 

一日の浄化といえば、

  • お風呂では、42,3度のお湯に15分間くらいつかります。私は15分間です。できないときは、何回かに分けます。そして、手、足指のマッサージを行い、それから、座禅(お経を読む、般若心経)*1、それからコロコロ、女性ならわかると思いますが、セルライトを落とす、コロコロです。100円均一にあるようなものです。*2、それから、体をナイロンタオルで洗います。そして、頭の表皮もそのようなブラシで洗います。最後に出るとき、たわしで体をこ擦ります。*3

 

*1:マッサージをして、毒素を出した後、さらについていた粒イコール声みたいな、もしくは、エネルギーの交換など綱がているものを切ります。三身で、もちろんケッフザです。そして、新道で壊れてなければ、ボーとし、鼻の先を見ます。よって、煩悩を流されたら、それで浄化されます。空の浄化です。

*2:これは、一旦切った状態でさらに、体のナーデイについてないかチェックです。なおこれはお湯の中です。

*3:1、左膝下、2、右ひざ下、3、左ひじ 4、右ひじ、5、ここに脚注を書きます

宇宙

8日、夜テレビをみてたところ、ニュースで太陽のフロム?がめくれるというか、異変があったそうです。それはx線の1000倍だそうです。宇宙は果てしなくすごすぎです。でも、確かに金曜日曇りなのにてかてかと空気がしてましたし、暑かったです。妙に思ってましたが、ニュースをみて、それがあったと知り、我ながらと思いました。しかし、前にもカナダであったとき、送電所の箇所が壊れたそうです。ふと思いました。カナダの俳優で、今病気になった人がいますが、噂ですが、しかし、売れた人です。要は成功者ですが、その大自然の成功者の思想的なものが今でいうと、SBDですが、それにたいして、間違ったことをするとバチが当たるのではないかと思いました。何となく、そして、いい人間からみると祝福のような気がしました。人間のエネルギーよりも大自然のエネルギーのすごさを感じることができるのですから。にほんでも、GPS やなにかに支障が出るかもしれないと言われてました。

 

だから、、間違ったことをするよりも正しいことをすればよくなるのではないでしょうか?

それがもとに戻ることとなるでしょう。しかも、その成長のプラスとしてです。後は個別でのことですので、それぞれ症状は違います。体か頭かです。それさえ間違えなければ、うまくいくと思いますが、間違えると難病のような病気になってしまうのではないでしょうか?

 

ましてや、共有の作り方わかってしまいました。例えるなら、体操です。急いでやるとということです。

体と呼吸です。そして、力も必要かと思いますが、しかし、それによって起こります。焦りというか、急ぐということです。目のじりじりと同じようなものがあります。それは黒ですが。中有とおなじみたいです。仏教でいえば、風です。それがです。

 

すると、英語でもわかりました。文法も今までとありましたが、次のセンテンスでの補強と、それから、その文法の直しでした。直しよりも補強です。それから、直しができました。